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コーヒーを飲めなかった私がミャンマー・ヤンゴンでカフェを開いた話

ミャンマーヤンゴンのTokyo Coffee Car &Barにてスタッフと

私はもともと、コーヒーが飲めませんでした。

そんな私が2017年、まさかミャンマーでカフェをオープンすることになるとは、その少し前まで想像もしていませんでした。

人生には、ときどき頭では説明できない流れがやってきます。

「なぜか分からないけれど、やってみたい」

「大変そうなのに、どうしても心が動く」

ミャンマーでのカフェ事業は、私にとってまさにそんな経験でした。

最終的にカフェは2021年に閉店し、投じたお金もお店も手元には残りませんでした。

でも今振り返ると、私はこの経験から、お金では買えないものをたくさん受け取ったと思っています。

やってみたいと思ったことを、本当にやってみた経験。

それは、何ものにも代えがたい財産になりました。

コーヒーを飲めなかった私が、ミャンマーでカフェを始めた理由

私には以前から、いつか海外の子どもたちや、社会的に弱い立場にある人たちのために何かできたら、という思いがありました。

その原点にあるのが、若い頃に1年間暮らしたインドです。

インドではたくさんの人に助けてもらい、いつか何かの形で恩返しがしたいと思っていました。

そんなある日、ミャンマー人の友人から、

「ミャンマーで、親のいない子どもたちが働ける場所を作りたい」

という話を聞きました。

私はそれまで「インドで何かしたい」と考えていましたが、

「場所はインドでなくてもいい。私にできることがあるなら応援したい」

と思いました。

友人は、日本で長く生活していました。

彼女から聞いた話では、家族がミャンマーの政治状況の中で大きな影響を受け、生活が一変した経験もあったそうです。

その後、彼女はミャンマーへ帰国し、日本で長年親しくしていた目黒の喫茶店のマスターと一緒に、現地でカフェを始めたいと考えていました。

Tokyo Coffee Cafe & Barのマスター

私は最初、

「すごくいいね。応援するよ!」

くらいの気持ちでした。

ところが、この一言から、私自身が事業に深く関わることになるとは思ってもいませんでした。

ミャンマーを旅しているうちに、私の心が動き始めた

友人が帰国して数か月たっても、カフェの計画はなかなか進んでいないようでした。

そこで私は、彼女を訪ねてミャンマーへ遊びに行きました。

ミャンマーを一緒に旅した友人と長谷川暢子

車で各地を旅しながら、街や農村を見て回りました。

日本とはまったく違う風景の中で、その国が歩んできた歴史や、人々の暮らしについて考える時間がたくさんありました。

そして旅の途中で、コーヒー農園を訪れたり、現地のコーヒー事業の打ち合わせに参加したりするようになりました。

ミャンマーのコーヒー農園を訪れたときの様子

すると、あるとき気づいたのです。

「私、これにすごくワクワクしている」

コーヒーが飲めなかった私が、コーヒー事業の話に夢中になっていました。

人生って、本当に分からないものです。

頭で描いた人生とはまったく違う方向から、「これをやってみたい」という気持ちがやってくることがあります。

2017年、ミャンマーにTokyo Coffee Café & Barをオープン

そして、目黒で約50年間カフェを営んでいたマスターとミャンマー人の友人を中心に、私と、マスターのファンだった会社経営者の方が資金を出し合い、カフェをオープンすることになりました。

ミャンマーのTokyo Coffee Cafe & Barでスタッフと撮影した写真

物件を探すためにミャンマーへ行き、現地で「ミャンマーの竹下通り」のようだと言われていた賑やかな場所に店舗を見つけました。

ミャンマー・ヤンゴンにオープンしたTokyo Coffee Cafe & Barの外観

当時私たちが現地で体験したカフェ文化は、日本とはかなり違っていました。

そこで、長年日本で喫茶店を営んできたマスターの経験を活かして、日本のドリップコーヒー文化を紹介するカフェにしようと考えました。

名前は、

Tokyo Coffee Café & Bar

にしました。

ミャンマー・ヤンゴンのTokyo Coffee Cafe & Bar店内

パッケージも作り、いよいよカフェがスタートしました。

Tokyo Coffee Café & Barのコーヒーパッケージ

カフェが、人と人がつながる場所になっていった

オープンしてしばらくしてからカフェを訪れると、日本人のお客様もたくさん集まる場所になっていました。

ミャンマーで活動する若い人や、海外で頑張っている日本人など、いろいろな人との出会いがありました。

私はその様子を見て、

「いい場所を作ることができたな」

とうれしくなりました。

また友人から、親を亡くした子や地方の経済的に厳しい家庭から来た若者もスタッフとして働いていると聞きました。

Tokyo Coffee Cafe & Barで働いていたミャンマー人スタッフ

みんな少しシャイだけれど、とても明るい。

家族へ仕送りができるようになったと喜んでいる姿を見て、

「カフェを作る」ということ以上の意味が、この場所には生まれているのかもしれない

と感じました。

さらにコーヒー農園にも関わるようになり、

「いつかミャンマーのコーヒー豆を日本でも紹介できたらいいな」

と、夢はどんどん広がっていきました。

ミャンマーのコーヒー農園

2021年、突然カフェを閉じることになった

ところが、ずっと続くと思っていた未来は突然変わりました。

2021年、ミャンマーの政治情勢が大きく変化し、Tokyo Coffee Café & Barも閉店することになりました。

ミャンマーへ送るために、日本から焙煎機を用意したこともありました。

日本からミャンマーへ焙煎機を送る準備をしている様子

物件を探すために何度もミャンマーへ行き、資金も使い、たくさんの時間とエネルギーを注ぎました。

そして最後には、お店はなくなりました。

お金も戻ってきませんでした。

でも、不思議と私は、

「やらなければよかった」

とは思いませんでした。

むしろ、

お店とお金はなくなってしまったけれど、やり遂げた経験は何ものにも代え難い財産になった。

そう感じています。

海外で事業をする大変さ。

文化も習慣も違う人たちと一緒に何かを作ること。

計画通りにならないこと。

人との出会い。

そして、「なくなるかもしれない」ということ。

全部を含めて、経験したからこそ分かったことがたくさんありました。

私は今でも、ミャンマーの人たちが安心して日常を暮らせる日が一日も早く戻ることを願っています。

反対されても、なぜ私はやりたかったのか

実は、この事業を始めるとき、周りからはかなり反対されました。

海外でカフェを始める。

それまでコーヒー事業をしたこともない。

しかも私は、そもそもコーヒーが飲めなかった。

冷静に考えれば、確かに無謀に見えます。

それでも私は、どうしてもやってみたいと思いました。

ミャンマーでお寺を訪れるたびに、私は心の中で、

「この人たちを助けなさい」

というメッセージを受け取るような感覚がありました。

もちろん、これは私自身のスピリチュアルな体験です。

でも当時の私は、

「今の私にできることがあるなら、やってみよう」

と感じました。

私にとって、ミャンマーでカフェを作ることは、宇宙から与えられた仕事のように思えたのです。

焙煎機代とほぼ同じ「2万ドル」が当たった不思議な出来事

今でも忘れられない、不思議な出来事があります。

ミャンマーへ送った焙煎機は、送料なども含めると約200万円かかりました。

ところがある日、突然、

「2万ドルが当選しました」

という知らせが届きました。

当時飲んでいたノニジュースのキャンペーンに自動的にエントリーされていたようで、世界で一人の当選者になったと聞きました。

そして、約200万円が銀行口座に振り込まれたのです。

もちろん、偶然と言えば偶然です。

でも当時の私は、

「神様が焙煎機代を出してくれたみたい」

と感じました。

人生には、ときどき、頭では説明できないくらいタイミングの合う出来事が起こります。

それをどう受け取るかは、人それぞれだと思います。

私はその出来事を、

「その方向へ進んでみていいよ」

と背中を押してもらったように感じました。

「稼いでも、人のために使ってしまう人生だね」と言われて

そんな頃、知人から山本印店という不思議な印鑑屋さんを紹介してもらいました。

予約がなかなか取れないと聞いていたのですが、私は電話をかけてすぐにつながり、ご縁を感じて訪ねてみることにしました。

→ 山本印店のサイトはこちら

持参した印鑑を見た店主の方から、こんなことを言われました。

「あなた、人のためにボランティアみたいな人生を送ってるね。稼いでも全部、人のために使っちゃうんだね。こういう人生もいいかもしれないね。周りの人が助けてくれるよ。」

ミャンマーのことがあった私は、心の中で、

「いやいや、これからはちゃんと自分のためにもお金を貯めるぞ!」

と思いました(笑)。

でも同時に、

「自分はやっぱり、人の幸せにつながることをしたいんだな」

とも感じました。

「やりたい」に従った経験は、なくならない

ミャンマーのカフェは、もうありません。

もし「成功したか、失敗したか」という二択で見るなら、閉店したのだから失敗と言う人もいるかもしれません。

でも私は、そうは思っていません。

実際にやってみたから、出会えた人がいました。

働く場所が生まれた時期もありました。

海外で事業をする難しさを、自分の身体で知ることができました。

そして何より、

「私は、やりたいと思ったことを本当に行動に移せる人なんだ」

という経験が残りました。

人生では、やったことがすべて形として残るとは限りません。

仕事がなくなることもある。

お金を失うこともある。

人との関係が変わることもある。

でも、経験したことはなくなりません。

その経験は、自分の中に残って、次に何かを始めるときの力になります。

ミャンマーでの経験から私が受け取ったこと

すべての結果を予測してから動かなくてもいい。

「なぜか分からないけれど、やってみたい」という感覚が、人生を思いがけない場所へ連れていくことがあります。

たとえ最後に形がなくなっても、本気で生きた経験までなくなることはありません。

だから私はこれからも、自分の心が本当に動いたときには、その感覚を大切にしていきたいと思っています。

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この記事を書いた人|長谷川暢子

ヒーリングサロンLe Blanc代表/シータヒーリング®マスター&サイエンス/スピリチュアルアロマ講師。会社員から未経験でヒーリングサロンを開業し、16年間、延べ7,500名以上の方に潜在意識やヒーリングについてお伝えしています。

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